「そばにいるね」などの大ヒット曲で知られる青山テルマさん。
実家が裕福だという噂がありますが、実際はどうなのでしょうか?
実はその噂とは正反対で、彼女は貧しい生活を送っていた時期もあったそうです。
この記事では、青山テルマさんの生い立ちや、なぜ「お金持ち」と言われるようになったのかを詳しくご紹介します。

青山テルマさんってお金持ちの家の子?
青山テルマの実家は本当にお金持ち?

青山テルマさんの「実家は金持ち」という噂が広まった理由の一つに、彼女の成功が影響しています。
しかし、実際にはまったく逆で、幼少期は貧しい生活を送っていました。
この噂が広まったきっかけは、「そばにいるね」がヒットした頃に、大御所歌手から陰口を言われたことだったそうです。
「けっこう大御所の人なんですけど、ちょいちょい嫌がらせ…じゃないですけどやられてて…陰口もまわってきて…」と話し、「あいつどうせ金持ちの娘やろ」と大御所から陰で言われていた
デイリー
なぜそのような噂が立ったのかは不明ですが、もしかすると「青山」という名字の響きから裕福そうなイメージを持たれたのかもしれません。
では、実際の生い立ちはどうだったのでしょうか?

確かに、青山って聞くとお金持ちって感じもわかる
青山テルマの生い立ち
青山テルマさんは、トリニダード・トバゴ人のハーフの父と日本人の母の間に生まれたクォーターです。
しかし、彼女が2歳の時に両親が離婚。母親と二人で奈良の田舎町で暮らすことになりました。
貧しい生活と母の苦労

離婚後、母親はお弁当屋でアルバイトをしながら、テルマさんを育てていました。
しかし、周囲の環境は決して優しくなく、テルマさんは肌の色が違うことで近所の子供たちからいじめを受けることに。
そのため、母親はテルマさんを地元の学校ではなく、大阪のインターナショナルスクールに通わせる決断をします。
インターナショナルスクールの学費問題

インターナショナルスクールの学費は年間200万円と高額で、母親の収入では負担が大きすぎました。
そこで、「本場のアメリカで学ばせよう!」と考え、テルマさんが12歳のときにロサンゼルスへ移住。
しかし、アメリカでもアジア人として差別を受け、
と当時の経験を振り返っています。
そんな中、10歳頃から興味を持っていたゴスペルを学ぶため、教会の聖歌隊に参加。
その後、歌手を目指すことを決意し、15歳で日本に帰国しました。
苦労しながらの歌手活動

日本に戻ってからは、学費を自分で払いながらオーディションを受け続け、
築100年のボロアパートで生活する日々を送りました。
そんな中、大学1年生のときにリリースした「そばにいるね」が大ヒット。
この成功により、経済的にも安定し、「お金持ち」のイメージがついてしまったのかもしれません。

結構苦労してたのね
まとめ
青山テルマさんは、「実家がお金持ち」という噂がありますが、実際は幼少期に経済的に苦労していたことが分かりました。
奈良の田舎で貧しい生活を送っていた
インターナショナルスクールの学費が払えずアメリカへ移住
日本に帰国後、ボロアパート暮らしをしながら歌手を目指した
そのような努力の末に成功を掴んだ彼女。
噂とは真逆の苦労人であることが分かりますね!
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